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【雑記第13回】Blue Note日本盤はじめて物語 – 後編

中編より

さて、1970年に“世界初”のアメリカ本国以外での1500番台を“NR”のプリフィックス番号を付与し、16タイトル限定でリリースした東芝音工。

東芝音工は1973年に東芝EMIへと社名を変更します。このBlue NoteのNRシリーズはしばらくの間リリースされ続けた為、東芝音工盤と東芝EMI盤が同型番で存在します。例えばThe Beatlesでも同様の現象は起きており、この2つのプレスを比較的厳密に区別するのですが、このNRシリーズではあまり意識されていないように感じますが、厳密にどちらが初版かと言えば、やはり東芝音工盤になります。しかし、これもまぁラベルは東芝EMIで帯は東芝音工のものもあったりと本家顔負けの緩さで、これぞBlue Noteスピリッツをきちんと継承しています。ですので正直なところ厳密にやりようがないってのもあります…。

“東芝音工”と“東芝EMI”の帯

ジャケット裏面“東芝音工”

ジャケット裏面“東芝EMI”

リムに“TOSHIBA MUSICAL INDUSTRIES, LTD.”とある東芝音工盤

リムに“TOSHIBA-EMI, LTD.”とある東芝EMI盤

BLUE NOTE直輸入帯 その1

BLUE NOTE直輸入帯 その2

ここで、東芝音工と東芝EMIの話が出てきたので前回はさらっとスルーした直輸入盤の帯についても触れたいと思います。まずはこの2種、どちらが先かと言うと左のタイプです。こちらは東芝音工の帯しか存在しませんが、右のタイプには東芝音工、および東芝EMIの2種類が存在するから。と、自分の経験値では思っていますがいかがでしょうか。“帰納主義”です。フランシス・ベーコンです。右のタイプはNRシリーズと同デザイン。ですので、「NRシリーズが出るまでは左で、国内盤のプレス/リリースが始まってから直輸入盤も帯のデザインを切り替えた」と考えるのがロジカルではないでしょうか。どうでしょうか。その後はステッカー・タイプになります。

帯ではなくシュリンクに貼られたハイプ・ステッカー・タイプ

1966年のLiberty社によるBlue Noteの買収が大きなトピックであったと前編、中編でも書かせていただいたのですが、これも一筋縄では説明できないところがあります。この時期のLiberty社がファンドやエレクトロニクス企業に点々と買収/転売され続けており、Blue NoteがLiberty傘下に入ったのも、Libertyの親会社がBlue Noteも買ったのでLiberty傘下として扱うようになったというのが正確な言い方かもしれません。そのような複雑な流れの中で、69年に日本盤として初のプレスが行われましたが、この69年にはUnited ArtistsとLibertyの合併(あくまで共同所有)が行われています。本当に1、2年置きに買収が繰り返されていた時期だったのです。そして1971年にLiberty / UA Recordsは、United Artistsを支持してLiberty社の名前を削除しました。このような経緯によって、71年に完全にUnited Artistsへと移行してラベルもLibertyからUAに変更となりました。

そして1976年、東芝EMIは念願のBlue Noteカタログの日本でのプレス/リリースが全面解禁され、その先頭を飾ったのは“Cannonball Adderley / Somethin’ Else (LNJ-80064)”です。

BLUE NOTEが全面解禁後の第一弾タイトルとなった“Cannonball Adderley / Somethin’ Else (LNJ-80064)”

ライセンスは“Liberty”から“United Artists”となっています


しかし、しかしです。たった1年…先に述べたように版権が完全にUnited Artistsに移ったことでLibertyと契約していた東芝EMIは契約打ち切りとなり、全面解禁後のたった1年!たった1年後の1977年にはキング・レコーズからの販売となるのでした。たった1年かよ…。哀。

(しかし、その後、EMIがLiberty/United Recordsを買収し、再び日本での権利を東芝EMIが有することになります。)

ではでは、表題の「Blue Note日本盤はじめて物語」としては一度ここまでとしたいと思います。
お付き合いありがとうございました。