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【雑記第11回】Blue Note日本盤はじめて物語 – 前編

Blue Noteで初めて日本盤としてプレス、リリースされたタイトルはなんでしょうか。1500番台の先頭を切った“Miles Davis / Volume 1”かな、人気の高い“Cannonball Adderley / Somethin’ Else”かな。Art Blakeyかな。Bud Powellかな。

残念。Charlie Christian & Edmond Hallの“Memorable Sessions”でした。

日本盤Blue Noteの第一弾としてリリースされたEdmond Hall & Charlieの“Memorable Sessions”

1969年、東芝音楽工業株式会社(以下、東芝音工)より、最初のBlue Note日本プレスが3タイトル発売されました。

・Charlie Christian & Edmond Hall / Memorable Sessions (NR-8101)
・Edmond Hall & Sidney DeParis’ Blue Note Jazzmen / Jamming In Jazz (NR-8102)
・Blue Note All Star Jazz Men / Swing Sessions (NR-8104)

それぞれの出典は40年代のSPや50年代の10インチでのリリース音源で、それらの編集盤です。
地味です。強烈に地味です。いやいいアルバムなんですよ?でもなぜ….。
それは、1969年はBlue Noteの30周年に当たり、本家Blue Noteでは「Classic Jazz」シリーズというSP音源/10インチ音源の編集盤を8枚出しており、そこから更に編集を加えてリリースとなったためでした。東芝音工としてはきっと本望ではなかったではないでしょうか…。

こちらも国内盤Blue Note第一弾作の1つ。帯には“ブルーノート30周年記念発売”とあります。

こちらは本家Blue Noteでの「Classic Jazz」シリーズの1枚

しかし、なぜBlue Noteは1967年まで日本盤がなかったのでしょうか。50年代のペラジャケ期からPrestigeやRiversideの日本盤はプレス/リリースされてきたのに。
まずそこから行きましょう。

Blue Noteの創設者の一人、Alfred Lionは品質保持のため自分の手を離れたプレスを一切認めなかった。という話もありますが、実は40~50年代にリアルタイムのBlue Note作品がフランスのVogueレーベルからリリースされていました。またVogue原盤のJames MoodyやDizzy Gillespie、Clifford Brown等のアメリカ人ミュージシャンのフランス録音音源からFats Sadiまで、数タイトルが5000番台からリリースされたりもしております。蜜月。しかし、Vogueが不義理をしでかした、つまり印税をちょろまかした…という噂があるそうです。それから海外でのプレスを許可しなかったとか。
ではなぜ東芝音工に許可がおりたのか。それは、そのAlfred Lionが引退したからというのが大きな原因の1つでしょう。そしてもう1つの大きな原因に、1966年にLiberty社がBlue Noteを買収したという大きなトピックがあります。Alfred Lionともう一人の創設者Francis WolffもLibertyによる買収後もBlue Noteのマネージャーとして引き抜かれていたのですが、体調不良もあり1967年にAlfred Lionは引退してしまったのでした。

こちらの原盤はフランスVouge社。Blue Noteからのライセンス・リリース。

こちらはフランスVogue社からのリリース作。Blue Noteからもライセンス・リリースされている音源。

中編に続く